アルベルト・フラム(Albert Flamm,1823年4月9日 - 1906年3月28日)はドイツの画家である。イタリアの風景を描いた絵画で知られる。
略歴
ケルンに生まれた。1836年から1838年までデュッセルドルフ美術アカデミーとアントウェルペン王立芸術学院で建築を学ぶが、絵画に転じた。再びデュッセルドルフでアンドレアス・アッヒェンバッハの元で学んだ。アッヒェンバッハの弟の画家、オスヴァルト・アッヒェンバッハと親友となり、2人は一緒に写生旅行で各地を旅した。ライン川や、アール川、モーゼル川流域を旅した後、1845年に初めてイタリアに旅し、1850年から1853年に再びイタリアに滞在した。イタリアではスイス生まれでローマに滞在していた画家のアルノルト・ベックリンと過ごし、その後カンパーニャ・ロマーナなどの景勝地、イタリア半島南部、ナポリを旅した。
その後も何度も2人はイタリアを訪れ、イタリアの風景画家として高い評価を得た。
1848年にデュッセルドルフに作られた芸術協会「マルカステン」の創立メンバーとなった。個人美術教師として教え初め、1861年にノルウェーの画家、ミュンテ(Ludvig Munthe:1841-1896)やアメリカのハウランド(Alfred Cornelius Howland:1838-1909)を教え、後にスウェーデン生まれの女性画家、イェンナ・バウク(Jeanna Bauck)やアメリカのキース(William Keith)も教えた。
デュッセルドルフ美術アカデミーの教授となったオスヴァルト・アッヒェンバッハのもとで1870年から美術アカデミーで教え始め、教えた学生にはボクマン(Gregory von Bochmann)がいる。
デュッセルドルフの出版社の経営者の娘アンナ・アルンツ(Anna Arnz)と1860年に結婚した。オスヴァルト・アッヒェンバッハもアンナの姉妹と結婚し、2人は義理の兄弟となった。アンナとの間の息子、カール・フラムは肖像画家となり、もう一人の息子オズヴァルトは造船技術者となり、ベルリン工科大学の学長を務めた。
作品
脚注
参考文献
- Flamm, Albert. In: Friedrich von Boetticher: Malerwerke des neunzehnten Jahrhunderts. Beitrag zur Kunstgeschichte. Band I, Dresden 1891, S. 310 f.
- Ulrich Thieme (1916). “Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart” (ドイツ語). Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Leipzig: E. A. Seemann, vol. Band 12: Fiori–Fyt. p. 70. https://www.archive.org/stream/bub_gb_7QMrAAAAYAAJ#page/n75/mode/1up
- Lexikon der Düsseldorfer Malerschule, Bd. 1.




