菅沼 定吉(すがぬま さだよし)は、戦国時代の武将。

略歴

徳川家康に仕え、元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いに参加。以後、田中城攻め・長篠の戦い・長久手の戦いに参加。

天正18年(1590年)の関東転封に際して武蔵国比企郡埼玉郡、下総国匝瑳郡の内、合わせて三千五十石を領する。最初期の大番頭として、文禄の役において家康の名護屋駐屯に従う。

帰国後の慶長始めに大番が家康・秀忠間に分割され、秀忠麾下となり関ヶ原の戦いでも従う。慶長11年7月17日死去、54歳。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜』巻第302

菅沼洋次 Bangumi 番组计划

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菅沼定継の碑|新城市 東三河を歩こう

菅沼久义图册_360百科

菅沼定忠とは 菅沼定利も 武将辞典