吉富 保之(よしとみ やすゆき、1887年(明治20年)8月18日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。基隆市尹。
経歴・人物
吉富大雲の二男として熊本県鹿本郡に生まれる。1908年(明治41年)家督を相続する。1909年(明治42年)台湾総督府総督官房に奉職し、1926年(大正15年)東京市主事に転じ、内記課、療養所事務長、監査課員、統計課員を経て、1930年(昭和5年)築地病院事務長となる。
翌年の1931年(昭和6年)台湾総督府地方理事官に進み、基隆市尹に任ぜられ、1932年(昭和7年)官界を去り、台湾新民報社編集顧問を経て、1937年(昭和12年)1月に同社監査役に就任。さらに1940年(昭和15年)編集局長となった。
脚注
参考文献
- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年。http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/mhpeople/bookImage.php?book=TW。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年。http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/mhpeople/bookImage.php?book=TX。


