楊 文愷(よう ぶんがい)は清末、中華民国の軍人・政治家。北京政府、直隷派に属し、後に農商総長をつとめた。字は建章

事跡

清末の秀才で、後に日本に留学する。陸軍士官学校第6期歩兵科を卒業した。その後、禁衛軍一等参謀、直隷都督府軍務課課長、湖北督軍公署軍務課課長兼漢陽兵工廠総弁を歴任した。この経歴から、直隷派に属する王占元の幕僚となっている。

1921年(民国10年)、やはり直隷派である孫伝芳配下に転じる。翌年、孫に随従して福建省に入り、福建省督軍署参議に任命された。1924年(民国13年)、越威将軍の位を授与される。その翌年には、東南五省聯軍総司令部総参議となった。

1926年(民国15年)5月、顔恵慶内閣で農商総長に任じられた。続く杜錫珪代理内閣、顧維鈞代理内閣でもその地位にあった。楊文愷は、潘復内閣が成立した1927年(民国16年)6月に辞任している。この内閣では農商部が改組され、農工部と実業部に分離された。

以後、楊文愷は天津に寓居した。中華人民共和国成立後も同地に留まり、天津文史館館員となっている。

1965年6月、病没。享年83。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 

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