後藤 靱雄(ごとう ゆきお、生年不詳 - 1976年)は、兵庫県武庫郡住吉村(現:神戸市)出身のサッカー選手。ポジションはフルバック(現在のセンターバック)。
来歴
父はベルギー人であり、倚松庵など住吉村一帯に広い屋敷を所有する家柄であった。また、当時としてはかなりの長身で、特に空中戦とキック力に長けた選手だった。
関西学院大学在学中はサッカー部に所属し、斎藤才三が同級生であり、1929年にサッカー部の主将を務めた。また、関学クラブ(現役学生およびOBによる合同チーム)の一員として、1929年10月に開催された明治神宮大会兼ア式蹴球全國優勝競技會(第9回天皇杯全日本サッカー選手権大会)および翌1930年2月のア式蹴球全國優勝競技會(第10回天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。
1930年5月に開催された第9回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出され、フィリピン代表戦など2試合に出場した。
大学卒業後の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会の日本代表に選出。主将として2試合に出場した。1947年には天覧試合となった東西対抗では監督としてコーチの大谷四郎と共に関西チームの指揮を取った。
また、後藤は1936年11月から1943年8月まで倚松庵を作家の谷崎潤一郎に賃貸したが、立ち退き要求から谷崎が実際に退去に至るまで1年間を要したエピソードがある。
1976年に死去したと伝わっている。
所属クラブ
- 兵庫県御影師範学校附属小学校
- 関西学院中学部
- 関西学院大学
- 関学クラブ
代表歴
出場大会
- 1930年 第9回極東選手権競技大会
- 1934年 第10回極東選手権競技大会
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(1930-1934)
出場
参考文献
- 後藤健生『日本サッカー史・代表篇』双葉社、2002年11月。ISBN 9784575294897。
出典
関連項目
- 関西学院大学の人物一覧
外部リンク
- 後藤靱雄 - National-Football-Teams.com (英語)
- 1936年ベルリン五輪 スウェーデン戦逆転劇のキャプテン 竹内悌三




