大浦 光信(おおうら みつのぶ)は、戦国時代の武将。陸奥国種里城主。南部守行の曾孫。
略歴
延徳3年(1491年)、南部信時は南部久慈氏の一族・南部光信を津軽西浜の種里城(西津軽郡鰺ヶ沢町)に配置し安東氏への押さえとした。文亀2年(1502年)、光信は大浦城を築き養子・大浦盛信に守らせた。
大永6年(1526年)、種里城で死去。享年67(51とも)。
死後、盛信によって長勝寺に祭られた。なお、遺言として「死後も西の備えたらん」と述べたため、盛信によって甲冑姿のままで埋葬されたと伝えられている。
実子との説もある大浦政信は、津軽家の公称系図では孫(光信の長女・阿久と津軽に来た近衛尚通の間に生まれた)にあたる。
脚注
参考文献
- 『弘前市史・通史編2』弘前市、2002年6月28日。




